目次
クシュ王国 |
メロエ王国 |
紀元前920年頃、古代エジプト新王国時代に支配を受けていたヌビア人が、新王国が衰退により撤退した後に、ナイル川上流のヌビア地方の「ナパタ」を都として築いた、アフリカの黒人最古の王国である。
「ピラミッド」の建造、王家の墓を真似た「王墓」、エジプトの神々の「崇拝」など、かつての古代エジプト文化が広く普及している。
紀元前747年頃、エジプト第24王朝(リビア朝)を滅ぼし、第25王朝(ヌビア朝)を開き、北は地中海岸、南はウガンダ国境、東はエチオピア国境まで支配し、アフリカ大陸の4分の1にも及ぶ強国となった。
約70年間に渡り古代エジプトの復興に尽力したが、紀元前663年にオリエントで一大勢力となっていた、アッシリア帝国のアッシュール・バニパル王により征服され、エジプト第25王朝(ヌビア朝)は滅亡し、ナパタに退いた。
アッシリア帝国の侵攻に敗れたクシュ王国は、さらに上流に移動し、紀元前540年頃、南の「メロエ」に遷都した。
現在のスーダン北部のナパタ地方に、クシュ王国の都だったとされる「ゲベル・バルカル遺跡」が残されており、ゲベル・バルカル周辺の遺跡も含めて「ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群」として世界遺産に登録されている。
紀元前540年頃、クシュ王国が「メロエ」に遷都して築いた王国で、紅海とナイル川上流を結ぶ交易の中心地として栄え、鉱物資源や農産物にも恵まれ、豊富な鉄鉱石や樹木を用いて鉄器の製造を行うなど、高度な製鉄技術が発達し、後にアフリカ大陸全土に広まった。
クシュ王国と同様に、古代エジプト文化の影響を色濃く受けており、多数の「ピラミッド」や「神殿」「王墓」が建造され、エジプトの神々を「崇拝」し、文字は「ヒエログリフ」を用いていた。
やがてヒエログリフを基に工夫して、「メロエ文字」を作り出した。
エジプト以外にも、プトレマイオス朝やローマ帝国とも交易を行い、アフリカ内陸部の文化にも影響を与えた。
クシュ王国時代は一時エジプト王朝を開き、最盛期にはアフリカ大陸の4分の1を支配し、メロエに遷都後も土地の利を活かして新たな繁栄を築いたメロエ王国も、350年頃、エチオピアのアクスム王国の侵攻を受けて滅亡した。
現在のスーダンの首都ハルツームの北東には、「ナカ遺跡」「ムサワッラト・エス・スフラ遺跡」「メロエ遺跡」「ヌーリ王墓」「クッル王墓」などが残されており、「メロエ島の考古遺跡群」として世界遺産に登録されている。