~遥かなる悠久の歴史遺産~
  • 心に刻まれた旅の思い出
  • まだ見ぬ美しい世界へ
かつての栄華に思いを馳せて.....
文明の繁栄と夢の跡

目次

セレウコス朝シリア
ペルガモン王国
バクトリア王国
ナバテア王国

セレウコス朝シリアSeleucus

独立国家による逆襲

セレウコス朝シリア

紀元前312年、マケドニア王国のディアドコイの一人、セレウコス1世がティグリス川河畔の「セレウキア」を都(後に「アンティオキア」も建都)として建国したシリア王国で、かつてのアケメネス朝ペルシアの広大な領土をほぼ引き継いだが、逆に仇となり分裂が始まった。
紀元前305年、インドのマウリヤ朝にインド西部を奪われ、紀元前263年に小アジアでペルガモン王国が独立、その後も紀元前255年に北方でバクトリア王国、紀元前248年にペルシアでパルティア王国が立て続けに独立し、中央アジアにおける領土を大幅に縮小させた。
紀元前223年、アンティオコス3世が即位すると東方遠征を行い、失った中央アジアの支配を飛躍的に回復したが、紀元前192年の「シリア戦争」でローマに大敗すると権威は衰退し、パルティア王国に次々と領土を奪われた。
セレウコス朝シリアの領土は、最後は王都アンティオキア周辺のみとなり、紀元前64年にローマに滅ぼされた。

ペルガモン王国Pergamon

ゼウスの大祭壇

ペルガモン王国

紀元前263年、エウメネス1世がセレウコス朝シリアから独立し、「ペルガモン」を都に建国した王国で、ヘレニズム諸国の一つである。
紀元前241年、アッタロス1世が後を継ぐと、ガラティア人との戦争で勝利して、王の称号を得て、アッタロス朝が始まり、ローマとは友好関係を築き、都に壮麗な建造物や芸術品を集め、文化の礎を築いた。
息子のエウメネス2世は、古代世界で有数の図書館「ペルガモン王国の図書館」を拡張し、次のアッタロス2世はアテネの広場に「アッタロスの柱廊」を建造し、どちらの治世もローマとの友好関係は続けた。
紀元前139年にアッタロス3世が即位し、紀元前133年の彼の死とともに、領土をローマに寄贈して属州となった。
ペルガモン王国は文化が繁栄し、神殿、劇場、アレクサンドリア図書館に次ぐ規模の図書館など多彩な建造物が建ち並び、中でもアクロポリスに建造された「ゼウスの大祭壇」は、ヘレニズム美術を代表する大理石の建造物である。
この大祭壇は19世紀後半にドイツ人により発掘され、船でそっくりそのままベルリンに運ばれて修復された後、現在はペルガモン博物館を代表する展示物の一つとして、当時の輝きを取り戻し、訪れる人々を魅了している。

バクトリア王国Bactria

ガンダーラ美術への架け橋<

バクトリア王国

紀元前255年、総督(サトラップ)の地位にいたギリシア人のディオドトス1世が、セレウコス朝シリアから独立し、中央アジアの「バクトラ」を都として建国した王国で、ヘレニズム諸国の一つである。
同じセレウコス朝シリアから独立したパルティア王国と同盟を結んで西方を固め、紀元前200年にデメトリオス1世が即位すると、インドに侵攻して領土拡大を進め、次のアンティマコス1世はインドのマウリヤ朝の衰退に乗じてインド侵攻を拡大し、ガンダーラ地方を征服した。
これにより、ヘレニズム文化がインド北西のガンダーラ地方に深く浸透し、後にこの地に成立したクシャーナ朝の時代に、ヘレニズムと仏教が融合した「ガンダーラ美術」が生まれた。
その後、部下のエウクラティデス1世がアンティマコス1世を殺害して王位を簒奪して以降、国家分裂や度重なる戦争により国力は衰退の一途を辿り、紀元前139年に北方遊牧民の侵入を受けて、バクトリア王国は滅ぼされた。

ナバテア王国Nabatea

幻の都ペトラ

ナバテア王国

紀元前2世紀、遊牧民族のナバテア人は人口増加に伴い、遊牧生活から定住生活に移行し、エドム人の住むペトラに定住するようになり、紀元前168年、アレタス1世が「ペトラ」を占拠して築いた王国である。
もともとアラブで最初に馬を導入し騎馬部隊を用い交易を行っていたナバテア人により、シルクロードの通商上の要所であったペトラは、隊商都市として繁栄を極め、王国は交易により巨万の富を築いた。
エドム人を排除して領域の支配を固め、超大国のローマとの対立は避けて安定を図り、第5代のアレタス3世の時代には、ダマスカスやシナイ半島まで領土を拡大し、王国は最盛期を迎えたが、紀元前63年、ローマの侵攻を受けて和睦し、属国となった。
その後も、メソポタミアから地中海に至る隊商路を掌握していたが、1世紀になると交易ルートが変化し、新たにパルティア王国の「ハトラ」やシリアの「パルミラ」が隊商都市として台頭し、ペトラの重要性が低下していった。
また、アラビア半島の他部族との抗争もあり、王国の国力は次第に衰退し、首都をペトラからボスラへ遷都したが、衰退の勢いは止まらず、106年に時の王ラベル2世が死亡すると、ローマ帝国がペトラとボスラを征服し、アラビア属州へ併合したことにより、交易で栄華を誇ったナバテア王国も終焉を迎え、歴史の表舞台から消え去った。
切り立った断崖「シーク」に護られ隠されてきたペトラは、古代文書で存在が伝わるものの、いくら探しても見つからない「幻の都」とされたが、1812年にヘレニズム文化やローマ文化の影響を受けた「美しい都」が発見された。

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