目次
トラキア王国 |
イリュリア王国 |
ダキア王国 |
紀元前3000年頃、バルカン半島東部に定住したトラキア人は、ヨーロッパでかなりの人口を占める、死を恐れぬ勇敢な戦士でもあった。
トラキア人は、南部のベッサイ族、中央平野部のオドリュサイ族、北東部のゲタイ族の大きく3つに分かれており、紀元前460年にオドリュサイ族のテレスがオドリュサイ王国を建国し、ギリシアやペルシアなどの様々な文明の影響を受けながら、独自の高度な文化を築いた。
紀元前357年にマケドニア王国のフィリッポス2世に征服されて衰退するが、紀元前320年頃にセウテス3世が「バラの谷」と呼ばれる地域を中心に勢力を持ち、「セウトポリス」を建都し繁栄を誇ったが、46年にローマ帝国の属州となり歴史から消えた。
独自の文字を持たなかったため、永く「謎の民族」といわれてきたトラキア人であったが、「スヴェシュタリ」や「カザンラク」などでトラキア王の墳墓が発見され、玄室の装飾や天井に描かれた鮮やかな色彩の壁画から、「死は人生の終着点ではなく、これから始まる輝かしい来世への旅立ち」という、トラキア人の独特な死生観が判明した。
同時に、「黄金のマスク」など数多くの黄金の副葬品が発掘され、輝かしい黄金文化を担っていた王国でもあった。
紀元前1000年頃、バルカン半島西部に定住したイリュリア人は、部族同士で戦いを繰り返していたが、紀元前4世紀にバルデュリス王が「リッソス」「エピダムノス」を中心に強大な力を持つ王国を建国した。
紀元前359年、マケドニア王国に侵入してペルディッカス3世を倒し、一部地域を支配下においたが、紀元前358年にフィリッポス2世の逆襲を受けて敗北し、オフリド湖までの支配地域を取り戻された。
紀元前335年、息子のクレイトス王が再びマケドニア王国と戦うも、アレクサンドロス3世の前に大損害を受ける敗北を喫し、逃亡した。
紀元前323年のアレクサンドロス3世の死後、アグロンが「シュコドラ」を都に王国を再興し、北はダルマティアから南はアオウス川に至る領土を支配し、紀元前231年に彼が死亡して若年のピネスが後継者となったが、妻テウタが摂政として実権を握り、アドリア海の海賊を保護してローマの商船を度々襲い、「イリュリアの女王」と呼ばれた。
紀元前229年、堪りかねたローマは侵攻して海賊を鎮圧、都シュコドラを包囲すると、テウタはローマに降伏した。
紀元前168年、ゲンティウス王の時代にローマに侵攻されて、都シュコドラが陥落し、イリュリア王国は滅亡した。
紀元前1000年頃、バルカン半島北部に定住していたダキア人は、紀元前70年に部族連合の首長ブレビスタがダキアを統一し、「アルゲダヴァ(後にサルミゼゲトゥサを建都)」を都にダキア王国を建国した。
紀元前50年頃には、西はモラビア、東は黒海、南はトラキア人のゲタイ族を支配下に収め、ローマに抵抗を続けていたが、紀元前44年に暗殺されてしまい、彼が作り上げた王国は再び部族国家へと分裂した。
分裂状態であったダキア人は次第に一つに纏まり、85年からローマ属州モエシアへ度々侵入し、ダキア人の王デケバルスはローマ帝国と幾度と戦ったが、最終的にローマ帝国内で反乱が発生したことにより、多額の金銭を受け取る条件で和平を締結した。
101年にローマ帝国の皇帝トラヤヌスが長年の懸案だったダキアを征服するために「ダキア戦争」を始め、106年にローマ軍が都サルミゼゲトゥサを陥落させ、デケバルス王の自殺でダキア王国は滅び、ローマ帝国の属州となった。