目次
カラル文化(ノルテ・チコ文化) |
チャビン文化 |
パラカス文化 |
ナスカ文化 |
モチェ文化 |
ティワナク文化 |
カラル文化は、紀元前3000年~前1800年頃にペルーのリマ北部の「カラル・スペ」を中心に繁栄した四大文明と同時期の文明である。
カラル・スペは、66haの広大な土地に「円形の広場」や「大ピラミッド」「小ピラミッド」「回廊のピラミッド」「ワンカのピラミッド」「円形劇場のある神殿」「貴族の居住区」などの建造物が、高度な都市計画に基づき配置されており、3千人の人々が暮らしていた。
各遺構からは、生贄と思われる若い男性の骨、コンドルやペリカンの骨で作られた32本の「フルート」、植物の縄で編んだ網に複数の石をいれた「シクラ」、インカ文明で有名な数を記述する結縄「キープ」など、様々な道具や工芸品が発掘された。
聖なる火を灯す「釜戸」が見つかり、拝火信仰の可能性もあり、宗教都市としての役割もあったと考えられ、スぺ川周辺における農業や漁業で生計を立てていたことが知られているが、現在も発掘調査が行われており、いまだ未知の部分も多く、今後その独特の文化や宗教観の解明が待たれる、まさに神秘のベールに包まれた文明である。
スペ谷に点在するカラル・スペを含めた20もの古代遺跡をまとめて、「ノルテ・チコ文化」とも呼ばれる。
チャビン文化は、紀元前1000年~前300年頃にアンデスの山岳地帯の「チャビン・デ・ワンタル」を中心に繁栄した神殿文化である。
「ジャガー神」の信仰を中核とする宗教性の強い文化で、独特の祭祀や宗教儀礼を行い、各地に巨石を用いた神殿都市を建造し、ネコ科の動物(チャビン猫)や怪獣像を刻した円柱、石像が立てられた。
チャビン・デ・ワンタルは、広い地域から巡礼者が訪れ、信仰や文化で大きな影響を与えていた、非常に重要な宗教儀式の中心であった。
神殿は新神殿と旧神殿からなり、旧神殿の地下回廊には「ランソン」と呼ばれる高さ約4.5mもの石塔の「主神体(長い牙を持つ髪の毛が蛇の神)」があり、回廊からは祭祀土器などの奉納品が大量に発見され、地下には迷宮のような世界が広がっており、暗闇を縫う地下回廊が縦横無尽に張り巡らされ、現在判明しているだけで総延長は約2kmに及び、この地下迷宮は宗教体験の場であったという説もある。
パラカス文化は紀元前900年~100年頃にペルー南部の「パラカス半島」を中心に繁栄した、ナスカ文化と繋がりの深い古代文化である。
高度な「染織技術」で知られ、複雑な連続模様や豪華で鮮やかな織物は、後のナスカ文化でもその多様な模様やデザインが引き継がれた。
また、パラカスの海岸の砂丘には、ナスカ文化の時代よりもかなり前に描かれた「エル・カンデラブロ」と呼ばれる燭台の地上絵があり、これが後に描かれたナスカの地上絵の源流になったとされ、さらに、地下墓地からは数百体にも及ぶ状態の良い「ミイラ」が発見された。
パラカス人が何らかの理由でナスカへ移住し、パラカス文化の連続線上でナスカ文化を築いたとする説もある。
ナスカ文化の前代とされるパラカス文化を生んだこの地は、ペルーの南海岸のリゾート地としても有名である。
ナスカ文化は、紀元前200年~800年頃にペルー南部の海岸地域のナスカ川とイカ川流域の「ナスカ」を中心に繁栄した古代文化である。
人口5万人程度の比較的小規模な社会で、「ナスカの地上絵」で有名であるが、宗教的中心はナスカ川流域の「カワチ遺跡」とされている。
トウモロコシなどの栽培と漁業や狩猟で生計を立てながら、最大の特徴である、多彩色彩・造形と絵柄のモチーフ(魚や動物)を有する美しさとデザインに優れた「土器」と、高度な技術を駆使して織り上げられた目を見張るような美しい「織物」は、パラカス文化を継承し、ナスカ人がその技法とともに芸術性を磨きあげて開花させた集大成である。
広大な砂漠の大地に描かれた地上絵は、その大きさ故に上空からでないと確認できないため、千年以上も発見されないまま静かに佇み、この不思議な地上絵が何の目的で描かれたのか、これまで様々な諸説が唱えられてきたが、どれも仮説の域で解明には至らず、現在も謎のままで、他にも「木のストーンヘンジ」といわれる建築址の謎もある。
ナスカ文化は800年頃にティワナク文化が全アンデスに広がる中で忽然と姿を消し、歴史から突如消え去った。
モチェ文化は、紀元前後~700年頃にペルー北部の海岸地域のトルヒーヨの南にある「モチェ川流域」を中心に繁栄した黄金文化である。
モチェ文化の代表的な遺跡は「太陽のワカ」と「月のワカ」で、いずれも日干し煉瓦を積み上げて造った巨大なピラミッド型神殿がある。
太陽のワカは「行政地域」、月のワカは「宗教地域」、その両者が向かい合う500m程の間に「居住地域」が作られたと考えられている。
月のワカは古い神殿を覆い、その上に新しい神殿を増築する構造を繰り返して巨大になっており、発掘が進むに連れて新しい遺構や鮮やかな彩色の壁画が次々と姿を現し、モチェの神殿に祀った創造神(最高神)の「アイ・アパエク」が描かれている。
さらに北側の外壁「北のファサード」は、壁面が七層に分けられ、最下層は「捕虜と神官」、第二層は「踊り子」、第三層は「クモ(魔術師の守り神)」、第四層は「漁師」、第五層は「ドラゴン」、第六層は「蛇(天空の意)」、第七層は創造神「アイ・アパエク」が同じデザインで繰り返し描かれており、大迫力の巨大壁画になっている。
砂漠乾燥地帯で高い灌漑技術により広大な土地を治めながら、「水の枯渇」を恐れて神に生贄を捧げており、生贄を求めて絶えず戦闘を繰り返す軍事国家でもあったが、自然の気候変動による影響で衰退したと考えられている。
1987年に「シパン王」の墓から多くの黄金が発掘されて、高度な治金技術も持っていたことが判明した。
ティワナク文化は、紀元前200年~1100年頃にアンデス山脈の麓のチチカカ湖に近いボリビアの高原地帯に繁栄した巨石文化である。
最盛期は800年頃~1000年頃に迎え、広大な地域に渡って文化が広がり、ボリビアからペルー南部やチリ北部にまで影響を与えた。
帝国の首都「ティワナク」は、破壊と風化が激しいため、当時の面影はほとんど残っていないが、「アカパナ」と呼ばれる「ピラミッド神殿」や「巨神像」「太陽の門」「半地下神殿」などが残っている。
高度な巨石技術やチチカカ湖から灌漑用水を引く治水技術を持ち、後のインカ文明にも影響を与えたと考えられるが、そのほとんどの部分が解明されておらず、謎の多い文明である。
最大の特徴である巨石は、20km離れたチチカカ湖畔から運搬されたとされるが、その方法も未だ謎のままである。
最近の研究から、「シャーマン」を中心にした文明で、シャーマンは神と交信する特別な力が備わっていると信じられ、過酷な自然環境の中で人々は強力な力を持つシャーマンの元に結束し、千年の繁栄を遂げたと考えられている。