目次
トロイ文明 |
クレタ文明 |
ミケーネ文明 |
トロイ文明は、紀元前2600年~前1250年頃までエーゲ海の東に位置するアナトリア半島の「トロイ」で繁栄した青銅器文明である。
強大な王権による専制政治を行っていた王国で、プリアモス王の時代に突如として、アカイア人のギリシア連合軍と戦争になった。
戦争の発端は、プリアモス王の息子パリスがスパルタの王メネラオスの妻ヘレネを奪ったため、メネラオスは彼女を取り戻すべく、兄でミケーネの王アガメムノンとともに、トロイ攻略に向けて進撃した。
アガメムノンを総大将としたギリシア連合軍はトロイに上陸すると、老齢のプリアモス王に代わって王子ヘクトルを総大将としたトロイ軍と、10年に及ぶ長きに渡る戦争に突入した。
戦争の最中、トロイで豪勇無双の将軍ヘクトルは、ギリシア連合軍で最強を誇る無敵の戦士アキレスの親友パトロクロスを倒したため、怒り狂ったアキレスはヘクトルと一騎打ちに臨み、倒したヘクトルを戦車で引きずり回した。
お互いに多大な犠牲を出しながら、戦争開始から10年が過ぎた頃、ギリシア連合軍に厭戦気分が蔓延し始めたため、将軍オデュッセウスは一計を案じ、この「トロイの木馬」の計略により、騙されたトロイは一夜にして陥落した。
トロイの英雄アイネアスは、燃え盛る祖国から脱出してイタリア半島に上陸し、後に彼の子孫がローマを建国した。
クレタ文明は、紀元前2000年~前1400年頃までエーゲ海の南に位置する「クレタ島」を中心に繁栄した古代ギリシア最古の文明で、オリエント文明の影響を受けながら、独自に発展した青銅器文明である。
紀元前2000年頃に「クノッソス宮殿」が建造され、紀元前1700年頃には「ファイストス」「マリア」「ザクロ」にも宮殿が建造される、宮殿中心の都市が発達し、城壁を持たない平和的な文明であった。
既に文字も使用しており、初期の絵文字から線文字Aへと進歩した。
ミノス王の時代が最盛期で、クノッソス宮殿を建て、強大な海軍を擁してエーゲ海の島々やアテネを支配し、その頃の名残がギリシア神話に「ミノタウロス伝説」として残っている。
ミノス王は天空神「ゼウス」と姫「エウロペ」の子供でもあり、ミノス王の名前から「ミノア文明」とも呼ばれる。
紀元前1450年頃、突然に滅亡の時を迎えたが、滅亡理由については諸説あり、クレタ島の北にあるテラ島(サントリーニ島)で大規模の噴火が発生したことによる地震・津波・火山灰によるものとする説と、ギリシア本土へ侵入してミケーネ文明の担い手となっていた、ギリシア人の第一波とされるアカイア人により滅ぼされたとする説がある。
ミケーネ文明は、紀元前1600年~前1200年頃の間に、北方からギリシア本土とエーゲ海域に南下してきたギリシア人の第一波とされるアカイア人が、ペロポネソス半島の「ミケーネ」や「オルコメノス」「ティリンス」などに強固な城壁を築いた高度な青銅器文明である。
クレタ文明の影響を受けながら、農耕・牧畜・貿易により繁栄し、最盛期には、東はシリアやトロイ、西はシチリアと交易を行い、紀元前1250年頃の「トロイ戦争」で木馬の計略によりトロイを滅ぼした。
ホメロスの叙事詩「イリアス」と「オデュッセイア」は、この頃のトロイ戦争などについて、口頭伝承されたものを紀元前800年頃にまとめた、古代ギリシアの英雄伝説である。
1876年からのシュリーマンのミケーネ遺跡の発掘により、王宮跡には巨大な石造建築物の「獅子門」などがあり、また、伝説の王アガメムノンの「黄金のマスク」などの金製品が多数出土し、ミケーネ以外のティリンスやピュロスなどの遺跡からは大量の「線文字Bが刻まれた粘土板」が発見され、1953年にヴェントリスによって解読された結果、ミケーネ王は専制的な権力を持ち、統治下の地域から税を納めさせる貢納王政を行っていた事が判明した。
紀元前1200年頃、ドーリア人が南下してギリシア本土へ侵入したことで大混乱となり、のちのギリシア文化のさきがけとなった文明は崩壊し、紀元前800年頃まで文字で書かれた史料がない、ギリシア史上の暗黒時代に突入した。